masahiko yonemistu illustration from kyoto.

息子が小学校入学した頃からボクが気をつけ始めているコトがある。

1年のうちは、おぼこかった息子も
2年になるとメキメキ成長し、体格や行動の変化を実感する毎日。
親の心理としては、立派になっていく子供を嬉しく思う反面
家の外ではいったいどんなコトをしてるんだろう?と疑問や興味がてんこもり。
ついついアレコレ聞いてしまうのが親心ってもんだ。

共働きが多いご時世、ウチも類に漏れず夕方から夜はバッタバタ。
親子がゆっくり話ができるのは、良くて夕食時か入浴中だけ。
きっとトータル1時間も無いんじゃないかな。
この貴重な時間に親は、ここぞと「質問」してしまう。(愛ゆえに・・)

親の「今日、外で遊んだん?」なんて気軽な質問に
子供はたどたどしく答える「うん」
親:(うんって?どこで?だれと?何したんよ??)
親はまた「質問」したくなる。「どこで??」と。
これを3回ほど繰り返すと、「質問」は「尋問」に変わってしまう。orz
(恋人同士で言うならこれが「束縛」って状態だろうか。)
こうして子供は、親の愛ゆえの質問を「うざい」と感じるようになる。

ボクはこの時期の親子の距離感が、思春期にかけての親子関係の土台になってしまうんじゃないかと考えている。
つまり「親に話すと面倒臭くなる」って思われたらアウトなんだ。
親は子供に質問するとき、ついつい自分の欲しい答え全てを望んでしまう。
これは極端に表現すると、「親の不安を解消するための尋問」であって、
子供にとって「楽しい会話」ではない。
親が気持ちをぐっとこらえて質問をホドホドにしておくと、
子供は次の日もちゃんと答えてくれる。
こうやって、毎日少しずつ集めたパズルのピースを組み立てれば、
自然と子供のことを理解できるようになるし、聞かなくてもわかるようになる(はず・・)

ウチはヘタすると、夫婦でマシンガンのように息子を質問攻めにしてしまいそうな時があるけれど、「質問攻め」は基本的にお母さんに多いんじゃないかと思う。
お母さんは共働きとはいえ家庭中心に毎日を過ごしているから、いろんなことが気になっちゃうもんね。

お母さん、質問はホドホドに〜。(^^)/

ホドホドに。

どんな親でも子供にはスクスクと真っ直ぐに育って欲しいと思っている。(はずだ・・)
でも、そんな親の気持ちが高すぎると裏目にでちゃう時もある。
「アレしろ」「コレしろ」「アレしちゃダメ」「コレしちゃダメ」って言ってる親の心理は、

「小言じゃないんです、愛情なんです、子供に良い選択をさせたくてついつい意見しちゃうんです・・」

ってところで、ホント、子供のためを思ってこその「言い過ぎ」なんだ。
ところが、この「愛情ゆえの言い過ぎ」が子供の自発性を奪っているように思う。
言われれば言われるほど子供は「受け身」にならざるを得ない。
「受け身」ってことは、言われるまでやらない。
言われるまでやらないから、親は愛情溢れてまた言ってしまう。
言われた子供は、言われたから動く・・。
はい、マイナスのスパイラルの始まり。
(行く末は指示待ち人間まっしぐら・・・)
これでは、親の愛情が子供をダメにしているのと同じだ。

じゃぁ、どうしたらいいんだろう?

ボクは「反面教師」を利用することにした。

赤信号でわざと渡ってみる。
わざと妻に怒られてみる。
つまみ食いをして見つかる。
時には共謀を誘う。
「なぁ、一緒に悪いことしようやぁ・・」と。

このちょっとした緊張感が子供に「考える機会」を与える。
親が正しい道を示すコトよりも、子供が自分で正しい道を選ぶコトの方が大切だという考え方。

例えば、息子が保育園に通っていた時、朝出かける息子がカバンを持たずに出発しようとした。
ボクはそのまま息子を保育園に送っていった。
園について息子がハッとする。
息子「わすれた!」
ボク「ほんまや!」
ふたりで笑いながら慌てて家まで取りに帰った。

忘れたコト、慌てたことは失敗じゃない。
こういう経験の中で少しずつ「考える力」が育つと思っている。
もちろん、基本的には愛情たっぷり、安心できる家庭が大切。
そんな日常にスパイスを効かせる程度にこんな働きかけもあって良いと思うんだな。

まぁ、迷惑を被るのは「親」なんだけど、その迷惑こそ子供の将来への投資みたいなもんで、それを許容できるのがホントの愛情なのかな。
って思ったり。

つづく。

反面教師。

3歳の娘はとってもかわいい。
そしてとっても憎たらしい・・・。

まだ3歳だから、なんて手加減してやさしく笑顔で
「片付けよか〜」
とやんわり働きかけると、食い気味に
「イヤ!」・・・

ここは親の踏ん張りどころだ!なんてそれでもやさしく笑顔で
「お風呂はいろか〜」
と楽しげに誘っても
「イヤ!」・・・

なんだろ、もう、こうなると何を言ってもダメ。
あなた、とにかく反射的にイヤって言ってませんか?
ただ「イヤ!」っていいたいんでしょ?
ただ、反対に言いたいだけ・・・?

・・・・・・・ガチャガチャ、チーーーン!

はい、出ました。新しい対策。
早速ためしてみましょう。

「おてて洗おうかぁ〜」
「あ!洗わへんもんなぁ〜!!!」
「洗うもん!」

やっぱりか・・・大人の勝利。
「イヤ!」ってのは、言われた事に対して反対のコトを言うっていう一種の甘え方なんだろうな。
だから、本当に片付けたくない訳でも、お風呂に入りたく無い訳でもない。
半分は「ことば遊び」なんだ。
「おてて洗おうかぁ〜」のあとに間髪入れず「洗わへんもんなぁ」(批判ではなく気持ちを察した口調で)を入れると子供の反応はその反対になって返ってくる。
勿論、本当にイヤな時もあるだろうから、毎回うまく行く訳じゃ無いけれど
タチの悪い「イヤ」の連発はこれで食い止められるようになった。

あんまり「イヤ!」が続くと、本気でしばきたおしてやろうか!と思いそうになるけれど、こんな単純な仕組みだったなんて。

やっぱり子供は面白い。

つづく

イヤイヤ返し。

先日、妻方の両親と一緒に家族で夕食を食べにいった。
6人掛けのテーブルについて、久々に子供より大人の人数の多い和やかな一時。
お義父さん、お義母さんも、進んで孫の面倒をみてくださるし、
子供達も慣れているので、少しの間だけボクと妻は子供から手を離せる。

このいかにも休日っぽいシチュエーション、なのに何か違和感を持ったボク。

「なんだ?この感じ? (シャアか?)
(・・いや、いや、ボクはニュータイプじゃないし・・)

常日頃から人間の観察に慣れているボクは、スグに違和感の原因を突き止めた。

娘が食事中にじっと座っている。

お恥ずかしながら、3歳の娘は割とマイペースで頑固ちゃん。
最近は食事中に立ち歩いたり、いやむしろ、立ち歩き中に食事を摂っているという感じだった。
それがこの時は、まるで座っているコトが楽しそうにさえ見えてくる。

常日頃から原因の分析に慣れているボクは、スグに状況を分析してみた。

娘の向かいにお義父さんとお義母さんが座っている。
二人は娘の仕草の一つ一つを楽しむように眺めている。

ガチャガチャ、チーン!

分析の結果→「娘は見られているから満足している」

う〜ん、確かに。
小2の息子も、横に座ってじっとみていると楽しそうに宿題をする。
「見られている」って、意外と安心感を与える行為なのかも。
しかし、ボクら大人は得てして合理主義的に行動してしまうから、忙しい日々の中では「見るだけ」って行為を無駄に感じてしまう。
又、何かをしながら見たのでは逆効果で、それを直訳すると「子供は何かのついででしかない」ってコトになってしまう。

こういう小さな「積み立て」又は「積み崩し」が子供達に影響しているんだな。

そんな訳で、気付いたら実行。
いつもより長めに子供に視線を向けてみようかな。

全ての子育てメモはコチラから。

昨日の夜、ある実験がしたくて家の中の仕事や役割をすべて書きだしてみた。

朝食の準備、朝食の片付け、お風呂のお湯張り、お風呂掃除、布団を上げる、洗濯する、洗濯を干す、洗濯物をたたむ、アイロン、買い物に行く、夕食を作る、夕食の片付け、リビングの掃除、下駄箱の整理、花の水やり、子供を風呂に入れる、おもちゃを片付ける、・・・などなど。

たくさんの項目に点数を割り振る。毎日する「夕食づくり」や「洗濯物干し」は20点、毎日ではないけれどそこそこの頻度でする「靴洗い」「花の水やり」などは10点、たまにする「車の掃除」「何かの修理」などは5点、っていう感じで。
そして、ボクと妻と息子の中で「それ」を担っている人(リーダー)に得点を入れていく。
分かっていたコトだけど、妻の仕事がやたら多い。

結果、
ボク…210点
息子…80点
妻…720点

予想以上の結果にボクと息子は唖然・・・。
ボク「点数が高い人ほど、しんどいってコトやな、」
息子「かあちゃん、だんとつやん・・」
ボク「これが荷物やったら、母ちゃんペッチャンコやな、」
息子「・・・」
息子「あ、コレボクにもできる」
ボク「じゃぁ、リーダー代わってあげる?」
息子「うん、やってみる」
ボク「じゃぁ、言ってくれたら父ちゃんも手伝うわ」

こんなやりとりを続けていくと、ボクに出来る仕事も見つかった。
息子の手前、ボクもやらない訳には行かない・・。
そうして、各項目を率先して管理、実行するリーダーを割り振りし直したところ、

ボク…280点
妻…550点
息子…180点

妻の荷物を170点分減らすことができた。(それしか減らなかったとも言える・・)

実はこの実験には3つの目的がある。

一つ目は、息子に「家庭の中で母親の仕事がいかに多いか」を実感してもらうこと。普段の生活では断片的にしか見られていない母親の家事をこうやって点数化することで家事全体の量を把握できるようにしてみた。例えば、目の前に荷物を両手いっぱいに持っている人がいたら、手伝ってあげようと思うのは自然な気持ち。だから、母親の両手が一杯なことを実感するだけでも子供の行動は代わると思う。

2つ目は、単純に母親の負担を減らすこと。ウチのように共働きの場合、母親が家事のために使える時間は限られている。しかも子供達の世話までしている訳だから、頑張れば頑張るだけ首がしまるという状態に陥りかねない。母親の首が絞まると子供にも影響が出る(小言、八つ当たりなど)。そうすると子供は言うことを聞かなくなり、結果母親の手間が増える。という悪循環を防止したい。

3つ目は、そろそろ息子に「任せる」という経験をさせること。例えば会社でもチームでも「指示待ち人間」はその周囲の優秀な人材の手間をとらせるマイナス要因になってしまう。それを改善するのが「任せる」という経験だ。どんな小さなことでも任せる。任せたからにはその人間に結果や効果を委ねる。そのくり返しの中で「役割」「結果」「充実」などを知った者は自発的に行動するので、チームとしてプラスの要因になる。これが母子関係にも当てはまる。
子供が自発的に動けるようになれば自ずと母親の負担(学校の準備、オモチャの片付け、明日着る服の準備、食器の片付け、歯磨きを促す、小言、など)も軽減されるはずだ。

昨日の夜から、息子は新しく「下駄箱リーダー」と「お風呂をためるリーダー」と「靴を洗うリーダー」になってくれた。
リーダーは「自分がやらないといけない」って訳じゃない、自分が率先して「どうすればいいか」を考える。
その結果として自分でできないことは僕たちにお願いしたり、協力してもらうことができる。
ただし、リーダーが動かない時、周りはその状況を受け入れる。例え靴が臭くなっても、下駄箱に靴が散乱していても・・。

さてこの実験、どうなりますことやら・・・。
こうご期待。

ちなみにボクは「布団を上げるリーダー」「息子の歯を仕上げ磨きするリーダー」「子供を寝かしつけるリーダー」を増やした。
父親は自分の都合の良い時だけ育児に協力するのではなく、「リーダー」になるコトで更に母親の荷物は減らせるんじゃないだろうか? という自分への挑戦も兼ねて。(^^;)

自分の武器を意識してますか?
ヒラメキ?テクニック?鉛筆?3Dグラフィック?体力?言葉?歌?・・・

そんなもん無い?

無かったら、作らなアカン。
まず、自分の武器を意識してそれを磨く。
悪いトコロを反省する前に、良いトコロを「武器」にかえよう。

意表を突くパスセンス? 切れ味鋭いドリブル? シュート力? フルタイム走れるスタミナ?
一流のアスリートだって、それを磨いて戦っている。

独身の頃、自分の子供がこんなにかわいいなんて想像できただろうか?
子供のためなら何でもできる。ホント、愛おしい存在だ。
あんまり可愛いもんだから、なんでもしてあげたくなる。
親バカにだってなってやる。
そうやって自分にできる精一杯を尽くしているとある時、フと思ってしまう。

「これは甘やかしているだけなのでは???」

ピンポーン!たぶん、その通り。orz
そして、ここから僕たち親は子供に対して「シメて」かかる事になる。
隙を見せず、ワガママを許さず、目をつり上げて、顔を引き締めて・・
こんなに愛おしいのに・・・。
愛するが故に、愛するからこそ、我が子を甘やかして「ダメ人間」にしてしまわないようにとキリキリ頑張り始める。

確かに「甘やかし」はよろしくない。
けれど、「甘やかし」「甘えさせる」はちょっと違うのでは?

子供は子供なりに精一杯、刺激的な毎日を生きている。
恐いこともあれば、寂しいこともあるだろう。
不安になった心をちょっと落ち着けたい時、子供は甘えてくる。
こういうタイミングで「むむ、ここで甘やかしてはいけない!」って子供を突き放すと逆効果になっちゃう。
多分、子供は悲しい気持ちをため込む。
悲しくて寂しい気持ちが消化できないでいると、そのうちツメ噛みや暴力が出始める。

「甘やかし」「甘えさせる」、この違いを区別できなかった頃、ウチの子もどんどんワガママになっちゃった事がある。
難しいんだけど、この2つの違いがわかるようになってウチの親子関係は大きく好転した。
今でも、8歳の息子、3歳の娘、それぞれに「甘えられるゲート」はオープンにしてある。
こちらから働きかける事はないけれど、フラ〜っと自分のタイミングで甘えにくるみたい。

そういう隙をつくっておいてあげるだけで良いんだと思う。

その他の「子育てメモ」はコチラから。

僕たち「親」ってヤツは、 いったいどれだけ子供に小言を言っているんだろう?
いったいどれだけ子供に説教してるんだろう?
いったいどれだけ子供に絶叫してるんだろう・・・
仕事が終わると食事の用意をし、食事が終わっても洗濯物をたたみ、子供を風呂に入れ、歯を磨いて、ハイテンションな子供を寝かせる・・「早よ寝ろ!!!!」

・・・多忙極める日常の中で、気がつくと条件反射の様に常にブツブツわめいている自分が居る。
たいていブツブツ言ってしまっている日の小言の7割は「必要無い小言」だ。
いちどブツブツ言い始めると、なんというか気持ちがザワザワして落ち着かなくなる。
そして、子供に小言を浴びせ続けるモードに入っちゃう。

子供の気持ちになってみよう、やることなす事すべてに否定的な言葉をくらう。
想像してみよう、否定的で感情的な言葉をくらい続ける毎日・・。
きっと子供達は自分が親にとって「迷惑」であるかのように感じてしまうことだろう。

親はいったい誰のために毎日小言を言うのか?
そりゃ、「親(自分)」のためだ。

「早く片付けろよ!(こんな部屋じゃオレは落ち着けないよ!)」
「こぼすなよ!(またオレの仕事が増えたじゃないか!)」
「もっと上手く箸を持てよ!(他の子はちゃんとやってるんだろ!)」

ちょっと辛辣に表現してみるとこんな具合なんだろう。
実は親は崩れたかけた自分の精神を安定させるために子供を攻撃してしまっているんじゃないのかな?だとしたらそれは全く子供のためにはなっていない・・・orz
ボクは「子供にとって〝失敗〟も〝経験〟なんだ」と強く思うようにしている。
味噌汁をこぼすことも、バカみたいに同じ言葉を叫び続けるのも、彼らにとっては「経験」、人生を構成する大切なデータの一つだ。
失敗の積み重ねが成功へのプロセスであることを僕たち大人は知っている。
知っているなら、彼らの失敗も賞賛してあげるべきだ。

怒っているのは親の手間が増えるから、親の予定が狂うから、あと、親が劣等感を感じるから・・。
本当に必要な小言をなるべく少なく手短に話すようになってから、子供達はボクら親の言うことに耳を傾けてくれるようになった。
ボクの考える小言バランスは夫婦あわせて1日3回。

それ以上怒っても、なんにも良いことないんだから。 子育て関係の記事はコチラからもご覧下さい。

子育てに一番大切なことは?と聞かれたら、 ボクの場合は「大人のポジショニング」と答えるだろう。
子育てにおいて、大人の役割っていろいろあって、怒る役、褒める役、甘えられる役、師匠みたいな役、相談できる役、遊び相手役、エトセトラ・・。
大家族だったら、おじいちゃんや、おばさんや、いとこなんかも含め多くの大人がケースバイケースで役割を担っていたに違いないけれど、今、多くの子育て中の家庭は核家族だ。
つまり大人は父親と母親の2人だけ。
この2人で多くの役割をこなすのは、いささか大変である。

さっきまで怒っていた母親が、急に甘くささやき出したら気持ち悪い。
子供は「なんだこいつ?」と不審がるに違いない。
ここで鍵を握るのが、夫婦の連携。
母親が怒ったら、父親がフォローし、 父親が痛いところを突いたら、母親が優しくなだめる、 サッカーで言うならダブルボランチだ。
間違っても2人同時に前線に飛び出してはいけない、裏を取られてあっさり失点してしまう。
(両親とも小言を言ったら子供はうんざりしてしまう・・)
2人とも守備に回りすぎてもいけない、前線の動きが悪くなり攻撃が単調になって点が取れない。
(無関心、甘やかしてばかりとか、メリハリのない接し方)

多くの役を演じながら上がったり下がったりするボランチにとって大切なのは意志疎通。
我が家では、子供が寝てからの時間にボランチ座談会。
その日の子供達の事や、発見、意見などをだらだら話す。
この長話が意外と自分の役割のヒントになったり、相方のフォローができたり、いろんな面で効いてくる。
皆様も問題が深刻化して、監督更迭なんて事態になる前に、是非ポジショニングの再確認を。(^^) 子育て関係の記事はコチラからもご覧下さい。

3歳の娘は毎日よくしゃべる。
「あのなぁ〜 今日はなぁ〜 きしゃぽっぽがなぁ〜 いっぱいであそんで ほんであめふったし アカンでぇ〜って クッキーたべてん」 しゃべるけれども、何を言ってるのか支離滅裂・・。
こんな具合で一番ストレスを感じているのはきっと本人なんだろう。
言いたいことや思いを自分自身も整理できず、しかも言葉にも表現できない。

親「お風呂入ろうか」
子「いやや」
親「なんで!?早く入らんと、ねんねおそくなるで〜」
子「お風呂い〜や〜や!!」

なんてよくあるケースに翻訳をつけるとこんな感じ。

親「お風呂入ろうか」
子「え、もうお風呂の時間?お風呂に入るのはいいんだけど、このお絵かきが途中なの」
親「なんで!?早く入らんと、ねんねおそくなるで〜」
子「でもこのお絵かきを完成させたいのに!!」 こう考えると、親のセリフのなんと乱暴なことか。
結果的に子供の気持ちを完全に無視しちゃってる。
言葉には表せていない彼らの「気持ち」に気付いてあげるのは簡単じゃない。
だからボクは子供がグズりだしたら、探偵のようにああかも知れない、こうかも知れない、って探りながら聞いてみる。

探るのに一番良いのは彼らの気持ちになってみること。
目の前の子供と自分の中身が入れ替わったような気持ちで、視点を変えてその場を見てみる。
すると、たいていの「翻訳」は成功する。
翻訳の成功は、彼らに「わかりあう」という安心を与え、その積み重ねが信頼へ繋がる。

これは3才児に限らず、小2の息子や20歳前後のボクの生徒にも効果があったこと。
子供達は成長とともに心理も複雑になるから、いつだって「わかってあげる努力」が必要なのかも知れない。