子育てメモ 其の27
最近の父ちゃん、いっちょまえに忙しい日が続いています。
自宅兼仕事場といえど、子どもたちと顔を合わす機会はめっきり減りました。
朝飯こそ同じ時間に食べますが、その後子どもの顔を見るのは、彼らが帰宅時に仕事場を通過する時だけ。
その後はボクの知らないうちにご就寝。
休日らしい休日もなくかれこれ半年、まさに、家庭内単身赴任であります。
「え?なんで帰ってきたの?」とか
「家にいたらうっとおしい」とか
そんな迫害を受けている訳ではありませんが、
それでもこの子煩悩で繊細なおっさんは感じてしまうのです。
「子ども達の心が離れていっている…」と。
まぁ、ボクのセンチメンタルな気持ちはさておき、
子ども達はいたって健全、ハツラツとしていて「父親不在」の環境の中で
兄妹で上手に遊んだり、母親との絆を深めたり、うまいこと順応しています。
そんな中でのボクの発見、
「ちょっと顔を合わせ無いくらいで、こんなにも子どもの気持ちがわからなくなるもんなんだ・・」
な〜るほど、
ボクが普段、なにげなく行っている子ども達への「定点観察」は貴重だったんですね。
そして、それを継続することは思っていた以上に大変なのですね。
この「子育てメモ」は「大人の努力や工夫で、もっと子どもを伸ばせる」っていうアプローチで書いてきましたが、自分がこういう状況になってみて、いろいろ考えさせられました。
「子ども定点観察」を会社勤めのお父様方に求めるのは違うかも…。
「ちょっとは子どもや家庭のことも気にかけてよ!」なんていう奥様方のお言葉に敢えて反論しましょう。
「いやいや、ちょっとじゃあきまへん、どっぷり浸からないと子どもの気持ちはわかりまへん。」
そう考えると、子ども達のホームグラウンドはなかなかに「ドライ」なのかも知れません。
家事・育児・仕事に追われる母親、
仕事・付き合い・自分のアイデンティティと戦う父親、
こんな戦場で、「子どものコトを深く理解するのは困難」なのが当たり前…。
それでも子供たちは本能的に待ってます、求めてきます、
「ああ、ボクのことみてくれてるんだ、」
そういう安心(承認欲求というのでしょうか)を少しでも与えてあげたい。
さて、どうしましょう?
ここは気持ちを切り替えて、
「理解できない」のが「当たり前」なんだから
一つでも、二つでも、「何か」に気づいてあげられたら、それは「ファインプレー」ってことにしましょう。
結果じゃないんです、少しでも親が「努力」してあげるのが大切で、
その「努力」を親が楽しめたら、それが「幸せ」、
そんな「幸せ感」が子どもに伝われば、ホームグランドは愛情一杯。
わかってあげられてるか?も大切だけど、
わかってあげられていない現状も楽しめているか?がもっと大切。
ってコトでよろしいかと。(^^)
そこを基準に父ちゃんの新しい挑戦が始まります。
つづく。